
3.11は、息子の誕生日である。停電の中、余震におびえながら、ろうそくの明かりの中でケーキのろうそくに火を点けて、お祝いしたことは一生忘れないだろう。暗闇の中、頼りは情報が錯綜する中でのラジオのみ。世の中で何が起きているのか?天変地異とはこの事かと、楽観主義の私もさすがに恐怖を感じていた。
あれから1年。息子は無事に4歳を迎えた。ある被災地で私と同い年の母子家庭の母親が、4歳の男の子と母と祖母を亡くし、父親と二人でクリスマスや亡くなった男の子の誕生日を祝う姿を見た。その母親は、震災後、何度か自殺を思いとどまり、父親と二人、何とか少しだけ前向きな気持ちになって、震災から一年を迎えたようだ。
家族で子供の誕生日を祝うことができる。それは決して当たり前のことではない。そのことを日々忘れてはいけないと思った。
ボランティアで山田に行ったときのことだ。思わず涙が出た。
「私は命も家もある。もっと困っている人のところへ行ってあげて下さい。」と当たり前のように言えてしまう人達があまりにも多かったからだ。本当は困っているにもかかわらず、日本人…いや、とりわけ東北人はこう答える。
私はどこにでもいる一経営者で、どこにでもいる一人のパパだ。被災県の一人として、何ができるのか何をすべきなのかも分からない。しかし、あのとき気丈にふるまっていた山田の人達に恥ずかしくない人生を歩まなければならないと、強く思った。













